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大阪地方裁判所 昭和28年(行)19号 判決

原告 打出貫一

被告 大阪労働者災害補償保険審査会

主文

被告が原告に対して昭和二十八年一月三十日附で為した原告の災害補償の保険給付の請求を認めない旨の決定を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として、原告は昭和十三年五月東亜自転車株式会社の前身たる増村自転車製作所に倉庫係として採用され、爾後営業係労務係として勤務し昭和十七年六月十七日企業整備により東亜自転車株式会社が設立された後も引続き労務係を担当していたが、昭和二十一年三月には労務課長にすすみ、その後経理課長生産課長資材課長等を歴任し昭和二十三年六月には工場長に昇進すると共に翌二十四年二月永年の勤続と功績を認められて取締役に選任されたが依然従来のとおり工場長としての俸給を受け生計を維持し且つ会社の指揮命令に服してきた。その後営業部次長を兼務し昭和二十五年六月には経理部長となり勤務中同年十二月二十三日会社の金融業務のため会社所有の小型自動車にて大阪市阿倍野区阪南町北井鉄工所に赴きその帰路運転手の大内武が急病に襲われたため自から代つて該自動車を運転中エンヂンの故障のため右側横転しこの事故につて原告は右前膊モンテヂマの骨折右前膊右手柱滅創右天量開放創右肘関節撓骨々頭脱臼の傷害を蒙り直ちに大阪市住吉区長峽町七番地の越宗外科にて治療に努めたが同日より翌二十六年六月十五日迄休業の止むなきに立至つた。(なお原告は同年五月右会社を解雇された)然るところ右の災害は会社との雇傭関係に基く経理部長たる労働者の身分における業務上の罹災であるから原告は労働者災害補償保険法による補償を請求し得るものというべく(右会社は強制適用事業である)、当時経理部長として月額三万円の給与を受け(内訳基本給一万二千円家族手当九百円物価手当一万二千円その他五千百円)ており且つその治療のため前記のように百七十四日間休業したので、平均賃金九百七十九円三十五銭の百分の六十の割合による、労働基準法第七十六条に基く休業補償費十万二千二百四十四円十四銭及び同法第七十七条に基く障害補償として、右負傷が同法施行規則別表壱の身体障害等級表第六級の五に該当する故に労働基準法第十二条の平均賃金六百七十日分金六十五万六千百六十四円五十銭以上合計金七十五万八千四百八円六十四銭の支給方を昭和二十五年十二月二十九日堺労働基準監督署長に請求したところ、同監督署長は昭和二十六年十一月十七日いやしくも取締役である以上労働者災害補償保険法(以下労災法と略称する)における災害補償の対象となる労働者とは認め難いとの理由で原告の右請求を認めない旨決定した。そこで原告は更に大阪労働基準局保険審査官野中武祥に審査の請求を為したが同審査官は昭和二十七年二月二十三日原告の請求を認めない旨決定したので更に被告に審査の請求をしたところ、昭和二十八年一月三十日附で次のような理由の下に「請求人の請求を認めない」旨の決定を為し該決定書は同年二月一日原告に送達された。すなわち原告は経理部長として事実上労働に従事していたとしても株式会社の取締役であつて会社の業務執行権を有していたから労災法における補償の対象たる労働者とは認め難いし、且つ商法上取締役は使用人を兼務することは性質上許されないと解すべきであるから、事実上兼務していたとしても無効というべきである。世上、取締役が、使用人たる工場長、部長、課長等を兼務している例は往々見受けられるところではあるが、右は会社との特別の委任契約に基く、取締役としての業務の執行の延長であるか、若しくは右業務の補充と解すべきものであつて、会社との間に使用従属関係は存しないのである。又取締役は使用者として企業責任の主体であるから民法上からいつても結局賠償責任者と被害者とが人格を同じくすることになる故に損害賠償という観念を認める余地が無い。すなわち取締役として一旦就任を承認した以上、その損害の賠償は本来会社自身が負担すべきであつて自己の責任を国家に転嫁することは許されない、と謂うにある。

然しながら原告は、東亜自転車株式会社創立当時から従業員として雇傭せられ工場長の地位のまま取締役の選任を受けたに過ぎずして、会社に対する労務給付の関係は終始変化無きところであつて、この事実は労災法の強制適用事業たる前記会社の備付の労働者名簿及び賃金台帳に原告の氏名が登載せられ、且つ同会社において労災保険料を支払つてきた事実に徴しても首肯しうるというべきである。被告の右決定は、取締役か会社の使用人たる経理部長を兼務することは、商法上無効であるというが、商法の商業使用人に関する規定、会社の内部関係、会社機関に関する規定を通覧するも、かような兼務を禁止する規定なく、従つて商法上無効とする理由はない。又労働基準法第九条第十条の各規定の趣旨からしても事業において使用される者で賃金を支払われる者は、すべて労働者というべきであつて、取締役と難も一面労務を担当し且つ対価として給与又は賃金を支給される場合には、その面において労働者として取扱われるべく、かくの如く取締役が会社の業務執行外の労務に服し、これに対し給与を受ける契約は、労働基準法及び労災法上禁止する規定がないから当然許容されるものといわねばならない。被告の決定は取締役が工場長部長課長等を兼務する場合には、それは雇傭契約に基くものでなく、特別の委任契約であると主張するけれども右は事実を無視した独断であつて、かような場合においても、工場長部長等の関係では会社に対し使用従属の関係にあるもので他の取締役の意思に反して独断専行ができるわけではない。又被告の決定は、被害者と賠償者とが人格を同一にするというけれども賠償者は会社であるから被害者と同一ではない。そして、労働者である以上取締役を兼務していると否とに拘らず労務作業上の危険にさらされる面においては同様であるから特に兼務の場合のみ除外する理由に乏しい。更に被告の決定は取締役の就任を承認した以上、一面労働者としての労務に従事し災害を蒙るも当該会社自身が補償をなすべきであつて自己の責任を国家に転嫁することは許されない、というけれども、若しそうだとするならば、取締役が使用人を兼務することを禁止する規定を置くべきものであつて、これを解釈によつて二、三にすることは、独断のそしりを免れず、反つて、労働者が取締役を兼ねているという理由によつて、災害補償を受けることができないとすると、兼務していない場合と甚だしく権衡を失し極めて不合理な結果を招来するものである。

以上述べたように被告の本件決定は、独断であつて違法であるからその取消を求めるため、本訴に及んだ、と述べ

被告の答弁及び抗弁に対し、原告が昭和二十四年二月十二日取締役就任の登記を経由したことは、これを認めるが、原告は、会社の代表権を有していたわけではない。既に増村稔が代表取締役として、登記されていたのだから旧商法上も原告は代表権がなかつたものである。次に被告は、原告に重過失があつたと主張するけれども、原告は従来から普通自動車の運転免許証を有していたが、平素使用する機会に乏しかつたので、当時その書換期間が僅かに一ケ月程経過していただけであつて、無経験者の運転ではないから過失は無かつたものである。従つて労災法第十九条に該当しない、と陳述した。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、原告主張事実中原告がその主張の頃東亜自転車株式会社の前身たる増村自転車製作所に倉庫係として、採用され、爾後主張のような経過にて昭和二十四年二月右会社の取締役に選任されたこと、そして、取締役兼経理部長として、勤務中、その主張の日時に、自動車事故で、主張のような負傷をしたので、翌年六月十五日迄休業したものであること、昭和二十五年十二月二十九日堺労働基準監督署長に対し主張のような内容の災害補償を請求したが、主張のような理由で同監督署長がこれを認めなかつたこと、原告が大阪労働基準局保険審査官野中武祥に対し右の審査を請求したが、棄却したので、更に被告に審査を請求したところ、主張のとおりの理由で、これを認めない旨決定し、昭和二十八年二月一日決定書の送達をなしたこと、はいずれもこれを認めるが、被告の決定が違法であるとの主張及び、原告が、労働者であるとの点は争う。

そもそも原告は、自ら認める如く東亜自転車株式会社の取締役に就任しており且つ昭和二十四年二月十二日その登記をなしたもので旧商法上会社の代表権と業務執行権を有するものであるから、会社との間において雇傭契約又は労働契約による使用従属の関係は存しないのである。このことは部長、課長等であつた者がその後取締役を兼ねるに至つた場合も同様に解すべきであるから取締役に就任を承認することによつて、云わば経営者となりその時から従来の会社との雇傭関係は遮断せられ、取締役と会社間の委任関係に吸収せられるとみるべきものである。従つて、当該取締役が兼務している工場長、部長等の業務は取締役としての業務執行権の一部分と認むべきであり、仮りに百歩を譲り本来の業務執行自体でないとしても、会社との特別の委任契約に基き業務執行の延長乃至補充としてなす事務と解すべきである。労働基準法は、労働災害を以て、企業に必要な工場機械その他の物的施設の破損と同様に企業の遂行に当然随伴すべき企業危険の一種と目し、その補償の責任を企業主体たる使用者に帰せしめたのである。然るに損害賠償の請求は、被害者から対立者たる賠償者に対して為さるべきで被害者と賠償責任者とが人格を一にするが如き場合は、かかる損害賠償という観念は成立する余地がない。労災保険制度は、労働基準法上の災害補償責任を責任者の共同出損による保険によつて代行する制度であるからその本質は、労働基準法上の災害補償と毫も変るところは無いが、そうすると、取締役は使用者たる株式会社の機関として、賠償責任者の側に立つものであるから、仮令労働者と同様な作業に従事する場合であつても、労働基準法、労災法上の労働者として、労災保険を受けることはできないというべきである。然らば、原告が労働者名簿に登載し、労災保険料を支払つておつたとしても、労働者でない者が労働者になるわけではないから、それにも拘らず工場長、部長等の職名を附し労災保険料を支払つたことを理由にたまたま事故が発生すると、これは経理部長の執務中の事故であると称して、労災保険給付を請求するが如きことは、労災法上の脱法行為であるといわねばならない。無論我国における株式会社の現状に鑑みるならば、いわゆる中小企業にあつては、名称は株式会社であるけれどもその実は個人経営と選ぶところなく、従つて、その役員といい、取締役といつても、実質は労働者と異るところがない場合も多数存在する事実は、これを否むことはできないが、然し、いやしくも、会社が取締役に選任し本人がその就任を承認した以上仮令業務上の災害にかかつたとしても当該会社自身がその補償を負担すべきであつて、自己の責任を労災保険の名において国家の責任に転嫁するが如きは、労災補償及び労災保険制度の前記のような本質に反すると共に、自己の都合のよい場合には会社組織を強調して、その利益に均霑しながら労災保険に限つては実質上これを否定し労働者としてその保護を受けんとする、許すべからざる、功利的態度というべく、信義則に反することは甚しいと言わねばならない、のみならず、若しこれを認めるとすれば、個人企業における場合に比し著るしく権衡を失する事態が生ずるに至るであろう。すなわち個人企業の場合においては、自ら仕事に当るのが常態でありその際災害を蒙つても自らその危険を負担するだけで、労災保険を受け得ないことはいう迄もないが、然るに税金その他の関係で一度びこの企業が会社組織をとり、取締役になるや否や、その実態は個人経営時代といささかも変更なきに拘らず取締役と同時に労働者であるという理由で労災保険金を取得することを認めることとなり、極めて、不合理な結果を招くことは明白である。

仮りに取締役と労働者とが理論上両立しうるとしても、本件の原告が、決して、労働者ではなく、事業の経営担当者であることは、第一に給与の点からみても、基本給一万二千円家族手当千五百円、物価手当一万二千円、その他手当六千百円となつており金額において幹部社員の給料と原告との間には、相当の差があり、寧ろ重役としての相当額を受取つていたと認められるし、第二に業務の内容からみても、本件の災害における如く使用人ではできないような会社を代表する重役としての営業行為をなしており、且つ重役会における発言権も相当なものである上に、会社の会計簿に散見される如く明らかに重役手当を受領していた事実などによつて、原告が実質上事業の経営担当者であつたことを否定するわけにはゆかない。仮りに然らずとするも、本件災害が、労働者としての業務上発生したものといいえないことは、右当時における原告の任務の内容が会社の代表者として北井鉄工所に金策に赴いた事実によつて裏付けられうるのであつて、この任務は、単なる経理部長としての業務の範囲を越えているものである。蓋し経理部長としてであるならば、会社の帳簿面の監督乃至記載等の事務上の仕事をするのみで足り進んで会社のため金策に走るというが如きは、畢竟会社経営者としての営業行為とみるのが妥当だからである。仮りに以上の主張が全部理由がないとしても被告は次の抗弁を主張する。すなわち、本件事故発生の原因をみるのに、原告は昭和二十五年十二月二十三日午後九時前に、大内運転手の運転するダツトサン型乗用車に乗つて北井鉄工所を出たのであるが、途中で同運転手が胃けいれんのような症状をうつたえたのでこれに代つて該自動車を運転したがエンヂンの故障のため右側に横倒しになつた。そして、運転手は原告の上になつたので負傷しなかつたが原告自身は、負傷したのである。原告は以上の如く無免許であるに拘らず敢て自動車を運転しかかる事故を招いたのであつて、仮りに業務上の災害だとしても原告に重大な過失があるから労災法第十九条により保険給付を受けることはできないというべきである。以上、いずれの点よりするも、原告の請求は失当であるから棄却を免れない、と述べた。(立証省略)

理由

原告が、昭和十三年五月東亜自転車株式会社の前身である増村自転車製作所に倉庫係として採用され、爾後、原告主張のような経過をたどつて、昭和二十四年二月、取締役に選任されるとともに、営業部次長をも兼任していたこと、昭和二十五年六月には経理部長に就任したこと、昭和二十五年十二月二十三日会社の金融関係の用務で小型自動車にて北井鉄工所に赴きその帰路運転手の大内武が急病に襲われたため自ら代つて運転中右側横転し、そのため、原告主張のとおりの負傷を受けたこと、これによつて原告は、同日から翌二十六年六月十五日迄休業の止むなきに立至つたこと、昭和二十五年十二月二十九日原告が右事故に関し労災法による災害補償を堺労働基準監督署長に対し請求したところ、労働者と認め難いとの理由で不支給の決定をしたこと、そこで原告は、大阪労働基準局保険審査官に対し審査を請求したが、昭和二十七年二月二十三日附でこれを棄却されたので更に被告に審査を請求したところ、昭和二十八年一月三十日附を以て原告主張のような理由により「請求人の請求を認めない」旨の決定をなしたこと、はいずれも当事者間に争がない。

よつて、被告の為した審査の決定の当否を考察するが、本件における主要な争点は、株式会社の取締役に選任された者が、労働者の地位を兼併しうるや否や、云い換えると、取締役に選任された者であつても、なお労働者と認むべき場合が存するやの点にあるから、先づこの点に関する当裁判所の判断を述べよう。

労働基準法第九条によれば、労働者とは、職業の種類を問わず、一切の事業に使用される者で賃金を支払われる者をいうと定めているから、或事業における職務上の地位が如何程高くとも(例えば部長、課長など)右要件を満す限りにおいては、労働者というに妨げないものと解すべきであるが、他方同法第十条によれば、使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいうと定めている。そこで右規定の趣旨を労働基準法の所期する目的に照らして、要約して考えてみると、要するに使用者とは、或事業の業務の全部若しくは一部につきこれを担当する者で事業主との関係において従属的労働関係に立たない者を指称すると解するのが相当である(勿論後述のような積極的内容を有するものである)。

ところで、或事業の業務主体について従属的労働関係が成立することは、観念上不能に属するから、無論事業主若しくはこれと同視しうべき経営担当者については、労働者の地位の兼併というが如きことは有りえないものといわなければならない。

然しながら他方或事業の経営権に対して、間接的又は制限的関与をもつ関係にある者については、上述の労働基準法の規定に照らして、右関与の範囲内において、使用者としての規制をうけつつも、他面前記第九条の要件に該当する者として、労働者としての保護及び救済を受ける資格を有する者といわざるを得ないから、この場合に限り、一般に、使用者及び労働者の双方の地位の兼併は、法律上可能であるということができる。

ところで労災法は、特に労働者及び使用者の概念に関する規定を欠いでいるけれども、同法が、本来労働基準法第八章に定める使用者の労災補償義務を代行するものである立法の趣旨及び目的から考えて、その意義は同一であると解するのが相当である。

さて、株式会社の取締役は、株式会社の業務執行機関であるから主体たる株式会社との関係において使用従属の関係に立つことは、これを否定すべきであるとの見解は、勿論一顧だに値しない、とはいい得ない。然しながら、一般に、事業の経営担当者とは、事業主体(企業所有者)の信託に基きその事業の業務の全般について事実上支配的権能を及ぼす者を指称すると解すべきこと、前記のとおりであるから、この見地に立つて、いま一度株式会社の取締役の内容を検討するときは、一概に、これを否定すべきでなく、寧ろ、事案の真相を究め、その上でその存否を決することが、労働基準法が、法律的形式にこだわることなく、直接的に、事実として存在する労働関係に適用されるべきものである法律の目的から考えて、より優れりといわなければならない。すなわち取締役であるといつても、実際上株式会社の業務に対して、支配的権能を及ぼしておらないもの、若しくは、及ぼすべき地位に居らないものについては、なお実体的労働関係の成立を認むべき余地があるのみならず、寧ろ、このことは、株式会社の業務に対して間接的な支配しかなしえないものについても同様の理由をもつて首肯すべきものである。(従つて取締役が部長、課長等の使用人の職務を兼任したからとて、又は現実に労働に従事したからといつて、直ちに労働者となるわけでないことは、無論云う迄もあるまい)昭和二十五年改正後の商法は、取締役会及び代表取締役の制度を新設し、原則として、株式会社の業務執行権は合議体としての取締役会に帰属することになつたから、特に或業務についての委任のない限り、いわゆる平取締役については、間接的な業務執行権しか有しないことになり、上述の実体的労働関係の成立する余地は、一層明確化したということができるのであるが、然しながら繰返して述べた如く労働法の対象とする労働関係は、法律的形式を越えて存在する事実自体に外ならぬのであるから、法律上、各取締役につき業務執行権の付与せられていた改正前の商法の下においても、更に、使用人の兼任を禁止せられている監査役(右の反対解釈として取締役については禁止せられていないことになる)についても(右禁止規定の趣旨は労働法の所期する目的とは異つているのである)、いやしくも、実体的労働関係の認めうる限りにおいては、労働基準法及び労災法の定める各種の救済規定を適用する妨げとなるものではない。特に我国の産業において大多数を占める、いわゆる中小企業においては、企業の所有と経営の分離が明確でなく、自己同一性が著るしく、取締役の地位にある者についても、一般の労働者と大差ない状態にある者の大多数存することは、顕著な事実に属するから、(被告の自認するところである)寧ろこの事実を直視し、且つ一層強い理由を以つて、取締役の地位にある者についても出来うる限り労働基準法、労災法の救済を与えるのが相当である。

そこで、これを本件についてみるのに、原告が昭和十三年五月増村自転車製作所に倉庫係として雇傭され、以来東亜自転車株式会社設立後も雇傭関係継続し昭和二十四年二月工場長在勤当時取締役に選任されたものであること、及びその後においても、営業部次長、経理部長としての職務をも兼ねて、本件災害当時、取締役兼経理部長の職にあつたという前記争のない事実と、証人増村稔、寺島琢二、小新忠興、田中清郎の各証言及び、原告本人訊問の結果(第一回)を綜合すると、原告は取締役に選任された後においても、従前と何等変らない職務に従事したものであつて、給料の点においても何等変更のなかつたこと、東亜自転車株式会社は昭和十八年に個人経営の自転車製造業者が強制的に整理統合されたいわゆる中小企業であつて、会社の役員には主として、旧工場所有者が選任され、これらの役員によつて、会社の経営が掌握されていたものであつて、会社内部においても、これらの役員が旧重役と呼ばれていたに対し原告らの如く従業員から取締役に選任された者は、新重役と呼ばれて差別待遇を受けており重役会に出席する機会も少く且つ出席しても発言するのは、主として自己の兼務たる経理部長の職務に関するものであり、旧重役が定額の所謂重役手当を受けていたのに、原告ら新重役は従前と変らない給料以外に重役としての報酬は受けていなかつたこと、尤も本件災害当時に於ける原告の給料は約三万円であつて、この金額は、従業員中最高のものであつたが、それは原告が幼少時代から増村自転車製作所に勤務し東亜自転車株式会社においても勤続年数が最も古かつたためであつて、成立に争のない甲第二号証によれば、その内訳は基本賃金一万二千円、家族手当九百円、物価手当一万二千円その他五千百円となつており、その他というのは、特別の意味はなく給料総額が定められていたために、これを満たすための単なる名目に過ぎなかつたこと、なお前記甲第二号証と、原告本人訊問の結果(第二回)を綜合すると、原告は取締役に選任された後においても労働者名簿に記載されており且つ東亜自転車株式会社において労災保険料を支払つていたことなどの事実を認めることができる。右認定に反する部分の乙第二、三号証及び証人牛尾栄次、木下長次郎、寺島琢二の各証言は措信し難く他にこれを覆すに足る証拠はない。そうすると、右認定の事実関係の下においては、原告は取締役であると同時に使用人たる経理部長として、労働者たるの実体をも併有していたものと認めるのが相当であつて、従つて、労災法の適用をも享受しうる資格を有していたものと解すべきである。

被告は本件災害発生当時は、昭和二十五年改正前商法の施行されていた関係上、原告は、取締役として、会社の代表権及び業務執行権を有するから労働者ということはできないと主張するけれども、証人増村稔の証言によつて真正に成立したと認められる乙第一号証、証人増村稔、小新忠興、寺島琢二の各証言、原告本人訊問の結果(第一回)と弁論の全趣旨を綜合すると、東亜自転車株式会社には代表取締役の制度が存在し、且つ、業務担当の取締役も定められていたことが認められるが、原告は、そのいずれでもなく単なる平取締役に過ぎなかつたことが認定されるから、原告は、前記のような趣旨よりして、定款を以て定められた取締役会を通して、間接的に会社の業務に関与したに過ぎないと考えるべく、そうだとすると右認定の如く従属的労働関係に立ちうるものであるこという迄もないから被告の右主張は採用しない。

被告はまた、原告が経理部長として、職務を有していたとしてもそれは会社との間の特別の委任契約に基く取締役としての業務執行の延長若しくは、補充たる意味を有するに過ぎないから労働者とはいい得ないと主張するけれども、主張のような特別の委任契約の存在する事実は、これを認めるに足る証拠がないからこの主張も失当である。

次に被告は仮りに原告が労働者名簿に記載され且つ労災保険料を支払つていたとしても、取締役は災害補償すなわち、企業責任としての損害賠償の責任者たる地位に立つもの又は少くともその側に立つものであるから労災保険を受けることはできない。若し然らずとすれば個人企業における場合と甚だしく均衡を失し且つ労災保険の名において会社の責任を国家に転嫁せしめることになるから信義則に反する、と主張するが、労働基準法の定める災害補償義務者は株式会社においては、その機関たるに過ぎない取締役ではなく、本来的使用者であるところの株式会社自体であるから取締役が災害補償を受けたとしても、賠償責任者の混同を生じたということのできないのは勿論であり、又労働基準法及び労災法は個人企業であると否とによつてその適用を異にしておらないのであるから個人企業が株式会社の組織に変更したとしても、右各法の適用の上においては何等変更のありえないことは詳述する迄もないことであつて、(当事者たる使用者は無論変るけれども)従つて、右組織の変更あるに拘らずその実態が、個人企業の時代と何等変らないものであるならば、取締役に選任されたと否とに拘らず、個人企業の時代と同様の取扱をなすべきものなのである。しからば、会社組織に変更したからといつて、いささかも個人企業と均衡を失するものではないから被告の前記主張はすべて理由がない。

更に被告は、原告が北井鉄工所に赴いたのは、会社の金策のためであつて、単なる経理部長としての職務の範囲を越えるものであると主張するけれども、前記認定の如く原告の取締役としての業務の執行は原則として、取締役における発言を通じての間接的なものに過ぎなかつたのであるから、特別の事由がなければ寧ろ、経理部長としての職務の遂行にあつたと認めるのが相当であるのみならず弁論の全趣旨によれば原告が右鉄工所に赴いたのは、単なる手形の割引の依頼であつたにすぎないことが認められ、しかも手形割引の依頼行為が、取締役の業務執行に属するとする特段の根拠もないのであるから被告の右主張は採用しない。

そうだとすると、原告が昭和二十五年十二月二十三日発生した本件事故によつて、前記争なき事実のとおりの傷害を蒙つたのは原告が労働者として、業務上負傷した場合に当るから原告は労働基準法及び労災法の定める災害補償金の給付を請求する権利を有するものといわなければならない。

被告は抗弁として、本件事故は、原告の重大な過失によつて発生したものであるから労災法第十九条の適用あるものというべきであると主張する。

然しながら労働基準法に定める労働者に対する災害補償は、使用者が労働力に対して、労働関係を媒介として、直接的支配を及ぼす関係にあるのに鑑み労働に従事中に発生した災害に対しては過失の有無を問わずにその損失(失なわれた賃金を含む)を補償すべき責に任じ以つて公平の観念よりする使用者の保護義務を課したものと解すべく、(故に被告の主張するような、いわゆる企業危険に対する無過失損害賠償とはやや趣を異にするもので、この事実は企業責任の歴史を顧みるときは、極めて明白である)しかして、労災法は、右の使用者の義務を保険によつて、確保する制度に外ならないのであるから、この趣旨よりして、前記労災法第十九条の規定は、できるだけ厳格に解するを相当とする。(労働基準法第一条参照)

然るに、原告本人訊問の結果(第一・二回)と弁論の全趣旨によれば(本件災害は前記争なき事実のように原告が小型自動車を運転中に発生したものではあるけれども)本件における金策の結果は会社幹部の大いに期待するところで、原告の帰社は、右の者等の待望するところであるのに、肝心の運転手が、急病であつて、運転不能の状態にある一方、原告は従来より普通自動車の運転の免許を受けていた者で相当の経験を有しており、本件災害の当時は、右免許証の書換えが若干徒過していたに過ぎず、従つて、右のような火急の際において、自己の経験を生かしたこと自体につき何等責むべきものが存しない上に、本件の事故は、原告の技術の如何よりも寧ろ該自動車のエンヂンの故障にその原因を有することを認めうるのであるから、到底原告に重大な過失があつたものということはできない。右認定に反する証拠はない。

従つて、被告の右抗弁も採用しない。

その他、被告の本件決定を相当として維持すべき事由も見当らないから、結局、本件において、原告に対し災害補償金を支給しないとの被告の決定は、違法として、これを取消すべきものである。よつて、原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 相賀照之 中島孝信 仲江利政)

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